★中学時代のいじめ経験を乗り越えて(2020.6.26)
こんばんは。
梅雨のせいでジメジメしててイライラしますね。
イライラで思い出した、中学時代のいじめ体験について書きたいと思います。
他人のいじめ体験なんて知ったところで、と思うかもしれませんがこれは読んでいただきたいと強く思います。
ちなみに、めちゃめちゃ長い(約3000字)です。
良ければ、最後の見出しだけでもご覧ください。
中学野球を始めてから
私は学生時代ずっと野球部に所属していました。
少年野球では4番キャッチャーというチームの花形みたいな存在で(自分で言うな)、そこで得られた自信を引っ提げて中学の野球部に入部しました。
入部した野球部では上手い人が何人かいて、中には1年生からシートノットに入った子もいたので、
「これはレギュラーを取るのは簡単ではなさそうだな。」
と思いました。
入部して半年後くらいには新人戦という1年生のみの大会があって、当時は5番ライトで出場しました。
惜しくも初戦敗退でしたが、出られたことが嬉しくて今でも鮮明に覚えています。
その大会で大した活躍はしていなかったのですが、後に練習試合で何度か代打での出場機会を得ることができました。
そこでも結果は出せなかったものの、まさか下級生の自分がこんなに試合に出られるとは思いもよらず、頑張ろう!と思う日々が続きました。
蟻の穴から堤も崩れるような日々
中2になる前の春休みから、順風満帆だと思っていた日々が徐々に崩れていきます。
物隠しや悪口を言われる等の王道のいじめはされなかったのですが、
どうも同じ部活の子たちに学校内で避けられてる気がしてならないのです。
廊下ですれ違っても目を合わせないようにしたり、
極力話しかけないようにしよう、みたいな雰囲気を感じていました。
幸いなことに、同じクラスに野球部は私一人だったので部活以外の時間で辛さを感じることは少なかったです。
しかし、授業が終わると
「部活が始まる=辛い時間が始まる」
という気持ちになり、授業が終わって欲しくないなぁ、と時計を見つめることが多くなりました。
練習中ではどんなことをされたかと言うと、
- キャッチボールの相手をしてくれない
- ノックのボールを受ける側になると、わざと取りにくいボールを投げたりしてあざ笑う
- 帰るときに誰とも話をしてくれない
こんな感じでした。
こうしたいじめともとれる行為は、14歳の私にとっては拷問以外の何者でもありませんでした。
2.3ヶ月は耐えたと思いますが、さすがに限界を迎えました。
堪忍袋の緒が切れる音
限界を迎えた私がとった行動は、
- 顧問に練習前に相談をする
- 野球部を辞めて他に好きなスポーツであるテニス部に転部する
- 親に相談する
でした。
これらは全て同じ日に行いました。
授業が終わり、ホームルームも終えて帰宅の時間になると真っ先に職員室に行き、当時の顧問に相談をすることにしました。
当時の顧問は少しだけ厳しいおっちゃんといった感じの人でしたが、
「相談があるのですが、話を聞いてもらっても良いですか?」
「どうした?」
「実はちょっと前からいじめのようなことをされていて。。避けられているというか。。」
「なに?ちょっと詳しく聞かせてもらっても良いか?」
という流れになり、1時間ほど話を聞いてもらいました。
何を聞かれたかと言うと
- どんなことをされているかをなるべく具体的に
- 誰がしているのか(と感じるか)
- 今後どうしたいか
でした。
私は素直に、
「野球が好きなので辞めたくないですが、今のメンバーのままで野球はしたくないのでテニス部に転部しようかなと思っています。」
と伝えると、
「お前の気持ちはよく分かった。とりあえず今日は練習に来なくて良いから帰りなさい。俺は今から練習に行って2年生全員と話をするから、また練習に来たくなった時に連絡をしてもらえれば良いからな。」
と言われ、その日は友達と帰ることにしました。
帰宅後には、両親に全て話をすることにしました。
両親からは、
「事情は分かった。お前の好きなようにしなさい。野球でもテニスでもやりたいことを思い切りするなら、どんなことでも応援するから。」
と言われ、何だか肩の荷がすっと下りました。
テニス部の友達にはすでにメールで連絡してあって、
「顧問には伝えてあるから、来たくなったらいつでも練習に参加してもらって大丈夫だよ!」
とのことでした。
その後の記憶は15年ほど前ということもあって少し曖昧なのですが、
「どうしても好きな野球を、他人のせいで辞めたくない!」
という気持ちがおそらく強かったのでしょう。
テニス部には行かずにいじめと向き合い、野球部に復帰することを決意しました。
部活に復帰してから
他の野球部員とは初めはギクシャクしていたのですが(たぶん勝手な思い込み)、
これまでのことが何事もなかったかのようになりました。
誰一人として謝ることがなかったので、え??という気持ちでしたが、特にそれ以降は嫌な思いはせず、最後までいることになりました。
最上級学年になってからはレギュラーになれなかったものの、ベンチには入ることができました。
しかしながら、公式戦に一度も出場することができないまま、中学野球生活に幕を閉じることになりました。
最後の夏の大会は地区大会決勝まで行ったものの、決勝で敗れ県大会出場はならず。
中高一貫校だったのでそのまま高校の野球部に上がることもできましたが、最後の大会を終えるまでは高校でも野球を続けることは一切考えていませんでした。
しかし、試合後の表彰式で銀メダルを授与されたときにふと、
「これで野球を終えるのはもったいない。高校でもやってみようかな。」
と思ったんです。
なぜかな?と思い返すと、
「辛い時にも世話をしてくれた親に、試合で活躍する姿を見せられなかったこと」に対しての後悔がものすごく大きくて、
「もう一度チャンスがあるんだから、この悔しい3年間を高校野球にぶつけたい」
と思ったからだと思います。
気づけばいじめを受けていた時には考えてもいないことを、いつの間にか考えられるようになっていたんです。
これを成長と呼ぶにはきれいすぎるかもしれませんが、たぶん成長なんじゃないかなと思います。
その後は高校・大学でも野球を続け、満足して野球から身を引くことができました。
めでたしめでたし。
いじめを経て
世の中にはいろんな種類のいじめがあると思います。
中には、辛さのあまり自殺してしまう子もたくさんいます。
もし自分が学生時代にいじめをしていた経験がある方や、子供のいる方には特に伝えたいのですが、
いじめられた側は一生の傷を背負います。
それを心から納得するまで強く説いてあげてほしいです。
経験上それは強く主張します。
わたしは正直、今でもいじめた人たちを恨んでいます。
ただ恨んでいるからといって、何か復習してやろう等は自分にメリットのあることではないので全く頭にありません。
いじめられた側にいる私にも何らかの原因はあるでしょう。
ですが、いじめにおいて「1人」対「複数人」というパワーバランスが良くないです。
どんな人であれその人数比では心が折れます。
「いじめないようにしよう」ではなく
「誰かを貶したり、罵ったりすることに喜びを感じないようにしよう」
が、本質的に正しいと思います。
ひとをいじめてまで得られるものなんてゴミ以下です。
弱いものを弱いものとして捉えること自体が間違っていると、なるべく若い段階から教え込まないとダメです。
一人でも多くの人が支え合っていく社会こそ、理想的ですが必要だと思います。
みんなで作り上げていくことこそが、より良い社会になる方法だと思います。
終わりに
辛い経験だからこそ得られたものは大きいですが、いじめに関しては経験する必要はありません。
少しでも、世の中のいじめが減りますように。
本日もご覧いただき、ありがとうございました😉